照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

9.人形と糸と人形遣い

「人間の背後には、人間が何を欲するにも、また何を人知れず思うにも、その一切を現実の形として現そうと待ち構えている宇宙霊が控えている」

中村天風

 

体と心と霊魂の役割の違いを、中世ヨーロッパの人形劇で使われていた「あやつり人形」にたとえて、考えてみましょう。

 

まず、人間の体が人形本体にあたります。

そして、心が人形に繋がった糸にあたり、霊魂が糸を操る人形遣いにあたります。

人形という目に見える物体と、観客からは見えない人形を動かすための糸と、劇場の上から糸を操る人形遣いという三つの要素で、あやつり人形は構成されています。

 

人間の体の病が、人形が故障して思うように動かない状態にあたります。

そして、心の病気が、糸が絡まって人形がうまく操れない状態にあたります。

気の病と書いて病気であり、体には異常がありません。

糸も人形も、手入れをすれば修理できますが、形がある物なので、いつかは壊れてしまいます。

同じように、人間はいつかは死んでしまうので、心も体もいずれ消えてしまいます。

しかし、人形の手入れをするように、健康に気をつければ、人間は長生きできるかもしれません。

 

人間を動かすエネルギーである霊魂は、人形劇の舞台の上で、人形を操っている人形遣いにあたります。

糸を上手く操らなければ、人形遣いは思うように人形を動かせないように、心を上手く操らなければ、体は思うように動いてくれません。

糸がもつれてしまえば、人形遣いは糸に神経を使うことになり、人形の動きは不自然になってしまいます。

人間も怒りによって冷静さを失ってしまうと、思うように体が動かなくなってしまいます。

人形を動かすのは、糸ではなく、人形遣いであって、人間を動かしているのは、心ではなく、霊魂なのです。

 

人形の動きを見れば、人形遣いがどのように糸を操っているか予想できます。

同じように、人間も脳波を測れば、心がどのような状態なのかある程度予測がつきます。

心の状態は目に見えるかたちとなってグラフにあらわれるのです。

人が焦っているときは、心が焦っているだけで、糸がもつれているようなものなのです。

人形遣いである霊魂は、エネルギーなので焦ることがありません。

自分の本質を心だと考えることは、糸が人形を操っていると考えるようなもので、人形遣いにとって、糸も人形も道具にすぎません。

 

人間は感覚や感情を持つので、自分の本質を心と勘違いしやすいです。

しかし、糸は人形を操るためにあるように、心は体を動かすために存在するのです。

人形劇の目的は、人形遣いが人形を使って、観客を楽しませることにあり、糸はそのための道具です。

人生の目的は、霊魂が人間の体を使って、自分の役割を果たすことにあり、心はそのための道具なのです。

 

人形が壊れてしまっても、新しい人形を作れば、人形劇を再演することができます。

肉体が滅んでも、そのエネルギーは新しい生命となって、また活動を始めるかもしれません。

 

人生は、一度きりの人形劇のようなものです。

糸が切れてしまっても、途中で張り替えることはできないし、人形が故障してしまっても、途中で交換することはできません。

トラブルに愚痴をこぼしても、事態は改善するどころか、悪化していくばかりです。

トラブルが起こっても、劇を中断することはできないし、劇が終わってしまえば、もう次の劇はありません。

終演後に、次の劇に向けて反省することはないので、劇を演じながら、改善していくより他はないのです。

 

一度きりの劇を成功させるためには、自分の使い方を間違えてはいけません。

自分に合わないことをやっても、うまくいくはずないのです。

ロールプレイングゲームをするときに、魔法使いに剣を装備させて、最前線で戦わせてもうまくいきません。

あなたの体が魔法使いだったなら、プレイヤーである霊魂は、心というコントローラーを使って、魔法を使って戦わせないといけません。

「戦士が良かった」と悔やんでも、あなたの体を他の誰かと取り換えることはできないのです。

魔法使いには魔法を使わせて、そのキャラクターを活かすように、自分の特徴を理解して、自分を最大限に活かしましょう。

自分に与えられた特性を活用して、ベストを尽くしましょう。