照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

42.陽明学

「志が立たねば、天下に成るべきのことなし」

王陽明

 

儒学者王陽明は、聖人を黄金に例えて説明しています。
あるとき王陽明は弟子に、「聖人と呼ばれる人の中にも、優劣の順があるのではないですか」と聞かれました。

すると王陽明は、「聖人とは天理に従って生きている人のことであって、知識や技能は関係ありません」と答えました。

聖人たちの中にも、知識や技能に優劣はあるかもしれませんが、天理に従って生きているという点ではみんな同じなのです。

例えば、二種類の大きさの違う黄金があったとします。

どちらも金の純度が百パーセントなら、大きさや重さが違っても、どちらも完全な黄金という点では同じです。

王陽明は、大切なのは大きさや重さではなく、純度だと言ったのです。

知識や技能などの外面的な能力よりも、内面の心を重視したのです。

 

天理に従って生きるとは、宇宙霊とともに生きることであり、霊性心で生きることです。

宇宙真理の中で生きて、進化と向上という人間の使命を果たすことです。

 

王陽明は十代の頃、世のため人のために役に立つ人間になろうと思い、聖人を志しました。

当時の儒学の主流は朱子学であり、「万物の理を極めることによって聖人になることができる」というのが一般的な考え方でした。

「草木にも理がある」という朱子学の教えを信じ、一週間不眠不休で竹を見続けますが、理はみつからず、体の弱かった王陽明は体調を崩し、自分が聖人になれるわけがないと自暴自棄になってしまいます。

 

その後十八歳の時に王陽明は、婁一斎という儒家に出会い、「聖人は学べば必ずなれる」と教えられます。

そのときハッと気づかされるものがあり、先ほどの黄金の話ではないですが、「自分にそれほどの才能がなかったとしても、学び続ければ聖人になれるんだ」と思い直して、再び聖人を目指し始めます。

 

朱子は、宇宙は気と理という二つの要素によって成り立つと考えました。

気は宇宙に充満する気体であり、理は宇宙法則のことです。

そして、朱子学は「性即理」といって、人間の本性は理と一体であると考えました。

しかし、人間の心には本性以外に気から生じる感情があるので、性善説ではあるのですが人間は完全な善ではないと考えました。

つまり、人間の心にある本性と感情は別のもので、本性である理を生まれた後に学ぶことで、人は善になれると考えました。

しかし王陽明は、人間の本性と理が一体であり、それを自分の心の外から学ばないといけないことに納得がいきませんでした。

 

そのころ王陽明は、仏教や道教を学んでいたので、そこからヒントを得て、あるとき「理は自分の外にあるのではなく、中にあるんだ」とハッと気づきます。

そして、王陽明は「心即理」といって、人間の心は理そのものであると考えました。

心が私欲で曇ってなければ、心のあり方は理と一致するので、理は自分の中だけで学べると考えたのです。

また王陽明は、朱子のように人間の心を理と気の二つの要素に分けずに、理は気の法則で、気は理の運用だとひとつのものとして考えました。

 

儒教経書である「大学」に「格物致知」という言葉があります。

朱子はこれを「知をいたすは物にいたるにあり」と読み、万物の理を極めることで知識を深めていけるとしました。

つまり自分の外の物から、理を学ばないといけないと考えました。

しかし王陽明は、自分の外の物から理を学ぶには、物は多すぎて理をきわめるには時間がかかり過ぎると考え、大変かもしれないけど、心の中に理を求めるようになりました。

そして、王陽明は「格物致知」を「知をいたすは物をただすにあり」と読み、良知によってものの善悪を正すことによって知識を深めていけるとしました。

良知とは生まれながらにもっている良心のことで、霊性心のことです。

自分の外のものに頼らずに、自分の心の中にあるものだけで理を学ぶことができると考えたのです。

しかし心の中に私欲があると、良知は発揮できません。

心の中にある私欲を消して、自分の良知に到達することを「致良知」といいます。

 

朱子は学問の研鑽を積むことで聖人になれると考えましたが、王陽明は良知にいたれば誰もが聖人になれると考えました。

つまり、朱子は後天的に人は善になれると考え、王陽明は生まれつき人は善だと考えたのです。

 

仏教は真、ありのままをみようとします。

儒教は善、よいものをみようとします。

例えるなら、花を育てるために雑草を刈って育てていくのが儒教で、花を育てるうえで雑草を刈らずにありのまま育てていくのが仏教です。

理想を追い求める形式的な儒教と論理的かつ現実的な仏教、そのどちらからも王陽明は影響を受けました。

 

自分の中に理を探すという発想は、仏教を学ぶことによって、釈迦から影響を受けたと思われます。

しかし、釈迦が悟りを得るために家族を捨てて苦行にでたことに、王陽明は納得できませんでした。

王陽明は「肉親への想いまで捨てろという教えは間違ってる」と、家族を捨ててでも自らの悟りを開くという発想を理解できなかったのです。

 

自分に良知があれば、他人にも良知があると思うので、すべての人間の価値は等しく、自分を大切にするように他人をしなければならないと考えることを万物一体の仁といいます。

人間はみんな万物一体の仁を持っていて、これを知覚する良知も持っているんだから、良知を発揮して自分の才能や能力に応じて働けば、理想郷ができると王陽明は信じていました。

身分の差はあっても、身分の高いものは高いなりに低いものは低いなりに自分の生活に満足すれば、幸福な社会がつくられるのです。

しかし、人間はすぐに私欲に走る生き物なので、そう簡単にはいかないように思われます。

しかし、人間の心は生まれつき理と一体なのだから、問題の根本である私欲を消して、善悪を判断できる良知を発揮さえすれば理想郷は実現できると王陽明は考えました。

これを抜本塞源論といいます。

 

知識を得ることと行動することの関係について、朱子学では「知先行後」といって、まず知識を得て、そのあとに行動すると考えます。

知識を得ることと、それを実践することを分けて考えているのです。

しかし王陽明は「知行合一」といって、知ることは行動することの始まりであって、行動することは知ることの終わりだと考えました。

知っていても、行動しなければ知らないことと同じで、行動することによって、はじめて本当に知ることができると考えたのです。

これは「心の中で自分がすべきと知っていることは自ずと行動にあらわれる」という王陽明の実体験から生まれたものかもしれません。

 

知識は持っているだけでは役には立たず、実践できてはじめて役に立ちます。

実際できる知識のことを見識といいます。

そしてどんな状況でも、実践できるようになれば見識は胆識になります。

逆境の中で実践できなければ、胆識とは呼べないのです。

例えば、銃の撃ち方を知っていることが知識で、射撃場で実際に銃を撃てることが見識になります。

そして、戦争に行って人間に向かって拳銃を撃てることが胆識です。

現代にはそぐわない例えですが、一昔前では日常の話になります。

車の運転の仕組みがわかっても、車が運転できなければ意味がありません。

現代は見識になっていない知識ばかりを持つ人間が増えています。

知行合一は胆識と同じものかもしれません。

 

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