照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

45.地球の未来

「私はただ、まだ使える物が無駄になっているのを見ると怒りを覚えます」

マザー・テレサ

 

科学文明が発達することによって、地球の環境は大きく変わりました。

人間の住む場所を確保するため、森林は伐採され、生態系が乱れています。
資本主義において、経済を回すために、大量のゴミが生まれ、便利な生活に慣れた人間によって、海や大気が汚染されています。

地球の今の状態を病とするならば、その原因は人類にあります。

高い知能を持つ人類は、地球の未来を決める存在といっても過言ではありません。

これから人類は、地球が健康な状態に戻れるように、道理に背いた常識を覆さなければなりません。

人が健康になるためにはまず心を変えなければならないように、地球の未来を救うためには、まずは人類の心を変えねばなりません。

 

宇宙霊の持つエネルギーは膨大で、その宇宙霊と私たちの霊魂は繋がっています。

だから、人類の心が積極になって、大量のエネルギーを取り入れることができれば、地球は自然と完全な状態へ向かっていくはずです。

地球の病気を治すためには、まずは地球にすむ人類の心を積極化しなければなりません。

人類の心は、地球の心でもあるのです。

 

かつては人類は、他の動物と同じように、原始的な世界で生きていました。

しかし、文明が発達するにつれて、人類は高い知能を獲得し、地球を破壊できるほどの科学力を手に入れました。

また、それと同時に、その強大な力をコントロールするための理性も手に入れたのです。


地球の未来のために、人類は理性を働かせ、本能を抑えなくてはなりません。

強大な力を手に入れた人類が、本能のままに生きていると、地球はいずれ滅亡してしまうでしょう。

環境破壊は、人類が科学の力に頼りすぎているから、進行しています。

人類は文明を発達させて、自然から離れていき、ゴミという概念を生み出しました。

本来なら、地球にゴミという概念はありません。

落ち葉や排泄物、生物の死骸などは、すべては自然に還り、大地を肥やす養分となります。

しかし、人工的な環境の中では、古くなった物や不要になった物はゴミとなり、地球の環境を破壊する原因になります。

資本主義では、物が売れないと経済がまわらないので、永遠にゴミが作り出されます。

新しい物を売って、古い物を捨てていかなければ、資本主義は成り立たないのです。
便利な新製品が次々と開発される一方で、ゴミや有害な物質が発生し、地球環境が破壊されています。

人類の力による競争は、「いかに物を売って、利益を出すか」という知恵による競争に変わりました。

利益を出すために、詐欺などの犯罪行為に手を染める人もいるのです。


一方、共産主義はどうでしょうか。

共産主義では、財産を共同で所有することによって、平等な社会を目指そうとします。

それぞれが能力に応じて働き、共同の財産から、必要に応じて所得を受け取ります。

しかし、共産主義はすべての人が高い意識を持っていないと、成立しません。

すべての人が聖人君子ならいいのですが、現実ではそのようなことはあり得ないのです。

 

カール・マルクスは、資本主義は貧富の差が問題になり、いずれ崩壊すると予言し、共産主義社会が到来する必要性を主張しました。

そして、共産主義社会の第一段階として、まずは平等に働いて、平等に所得を受け取る社会主義が訪れると考えました。

ちなみに、社会主義では国が財産を管理するので、個人が財産を持つことは認められません。

共産主義では皆で財産を共有するので、国が管理するという制度が必要ないのです。

 

人間は本能心が働くので、できるだけ楽をしようとします。

もし必死に働いても、そうでなくても同じ給料が貰えるなら、仕事をさぼる人が当然あらわれます。

しかし、それでは社会主義が成り立たないので、絶対的な権力者が人々を従わせるしかなくなります。

ですが、人間は絶対的な権力を持つと、傲慢になって、精神的に堕落していき、遂には独裁者になってしまいます。

 

共産主義社会の到来の必然性を説いたカール・マルクスはどのような人物だったのでしょうか。

実は、マルクスは異常な性格の持ち主だったようで、神経質で挑発的かつ独裁的だったといわれています。

それのどこが問題なのかというと、カール・マルクスという人物と、唱える思想や言論が一致していないことです。

マルクスは、資本主義の崩壊と共産主義の到来を、論理的に考えて主張をしましたが、それは論理展開によって導き出しただけで、血の通ったものではありません。

実際、マルクスのような性格の人が大勢いたら、共産主義は成立しません。

結局、主義とか党派とか、そのような概念的なものでは、人はどうしようもできないのです。

それは、論理の遊戯であり、机上の空論でしかないのです。

地道に真理を学んで、それを実践していき、自分を根本から変える。

言いかえれば、根性を叩き直さないかぎり、人間は変わることがないのです。

 

人間は自由に生きるべきであり、個性は尊重されるべきです。

先人たちが命懸けで行動を起こしたから、誰もが自分の意思で自由に生きていける時代になりました。

しかし、個人の権利ばかりが主張されるのは間違っていると思います。

自由を得るための権利だったはずが、皆が権利を主張して、身動きが取りづらくなり、逆に不自由になってしまっています。

例えば、平等が主張されすぎると、出る杭は打たれるようになり、真の自由は失われてしまいます。

そして、多様性が失われて、人間が弱くなってしまうのです。


現代の社会は、少数の資産や特権を持つ人たちが自らの権利を手放すまいと、多くの貧しい人々が犠牲になっている状態だといえます。

自由になったはずの世の中ですが、その点では、中世の封建社会の頃と、それほど変わってないようにも思えます。

 

人類の科学技術は発展しましたが、その代わりに、地球の自然が破壊されています。

そして、人類は争いをやめることなく、戦争を繰り返しています。

このままでは、地球は遠くない未来に滅びてしまうかもしれません。

 

人類の常識を変えることができれば、地球の未来は変わるはずです。

戦争や環境汚染で、生物が地球にすめないような未来は防げるはずです。
そのためには、教育のあり方を見直して、一人ひとりの意識を変えていかなければなりません。

そして、世界平和を実現して、人類が一丸とならなければなりません。

 

昔は世界中で争いが起こっていましたが、今ではほとんどの争いが片付いて、それぞれの国の中は団結している状態です。

ならば、世界中の国が一つの国のようになることも不可能ではないはずです。

そのためには、宗教感の統一と、経済の仕組みの統一、人種や民族の偏見をなくすことが課題になります。

宗教感の統一は、すべての宗教は一つの真理を別々の言葉で説明しているだけだと理解して、それぞれの宗教を受け入れることです。

日本の中でも、神道や仏教、キリスト教など、さまざまな宗教が共存したいるので、不可能ではないはずです。

経済の仕組みの統一は、国境や関税における規制を緩めて、世界中が一つの国のようになることです。

日本もかつては、それぞれの地方にそれぞれの国がありました。

今では日本という一つの国に統一されています。

人種や民族の偏見をなくすことは、外見や思想にとらわれることなく、人間は皆同じ霊魂であると認識することです。

完全なる世界平和は無理だとしても、そこに近づいていくことは可能です。

そして、結局それは、人類すべてが真理を学び、霊性心を発揮できるように、地道に努力するしかないのです。

 

真理の中で生きていけば、万物は進歩向上していきます。

人類は、地球の未来に対して責任があります。

なので、一人ひとりが自分の問題として、環境問題をとらえなくてはならないのです。


資本主義でも共産主義でもなく、民主主義でも独裁主義でもない、それぞれの対立を超えて、一つ上の次元へ持っていくことができれば、人類はまだ進歩することができるはずです。

陰陽相対性原理に基づいて、相対する思想を中すれば、進歩に終わりはないはずです。

一朝一夕で人類の常識が変わることはありませんが、少人数でも真理を実践していけば、だんだんとその輪は広がり、いつか無理だと思うようなことが実現するかもしれません。