照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

47.悟り

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」
正岡子規

 

私たちの体は気の集まりでできています。

目には見えない無数の粒子が、それぞれの正しいルートの上を動くことで、私たちの形が保たれています。

世界を大きな目線で見ることをマクロ、小さな目線で見ることをミクロといいますが、私たちの体を構成している粒子一つに注目して、ミクロの世界を考えてみましょう。

もし粒子が、進むべきルートから外れてしまえば、私たちの体に何かの不調が起きます。

道というのは、粒子が進むべきルートのことであり、理というのは、粒子がそのルートを進んでいくための法則を指します。

理を無視して、道から外れてしまえば、そこに不調が生じて破壊の作用が起こります。

癌細胞が正にそうで、周りとの調和を無視して、自分勝手なルートを進むから、破壊が生じるのです。

 

儒教では、周りと調和することを「礼」といい、協調して全体的が動くことを「楽」といいます。

つまり、礼とは全体を統一し、秩序を保つために必要なものなのです。

だから、相手に対して礼を失うことは、自分に対して礼を失うことと同じになります。

音楽はそれぞれの音が協調して、ハーモニーやリズムを作り出すことを指します。

音程やリズムを外した音は例を失った音といえるでしょう。

癌細胞は礼を失った細胞のことなのです。

 

「仁」とは、霊性心による愛や思いやりを指していますが、 孔子は仁について、「自分に克って、礼にかえること」と説きました。

また儒教では、「忠」や「孝」、「悌」なども仁のあらわれと考えられています。

忠とは、主君に尽くす真心を、孝は親孝行する心、悌は兄などの年長者を敬う心を指します。

どれも人間が調和を持って生きていくために必要なことがわかると思います。

頭山満は、 何か書いてくれと頼まれたときに、「忠孝をもって天地の恩に報いる」とよく揮毫(きごう)しました。

揮毫を求めるのは、現代でいえば、芸能人にサインを求める感覚と考えていいでしょう。

忠義と孝行を実践することで、自分が天地からもらった恩に報いるという意味になり、頭山満は特に忠孝を重んじていたようです。

忠孝を持つことは、文化や伝統を受け継いでいくことにも繋がります。

 

孔子は「夫子の道は忠恕のみ」といいました。

訳せば、立派な人の道は、誠実さと思いやりによって行われるとなります。

忠とは中する心のことなので、主君に尽くす真心以外にも、進歩向上していく心を意味します。

また、恕とは漢字の通り、女性の領域の心であり、大地のように万物を受容して許す心を意味します。

つまり忠恕とは、霊性心を陰陽相対性原理によって、人の心に当てはめたものなのです。

 

死とは、まとまって動いていた無数の粒子が、調和を失ってしまい、それぞれが固定されてしまうことを意味します。

粒子が礼や楽をもって動くことを、生命というのです。

人間が道から外れずに人生を進んでいっても、最終的にはゴールに辿り着くので、 人は必ず死んでしまいます。

 

無数の粒子が集まって、調和をもって一つの像を結ぶとき、無数の粒子はそれぞれが定められた道を進みます。

その像を結ぶために通るべき道が、粒子を人間と考えたときの人生なのです。

その道から外れてしまえば、破壊作用が生じるので、定められた寿命よりも早く死ぬことになります。

逆に考えれば、道の上を進んでいる限り、必ず定められた寿命を生きることができるのです。

 

それぞれが正しいルートを進むことで、宇宙の造化が成り立ちます。

宇宙の中で万物が創造され、育まれていくのです。

人間が心を積極的に保ち、霊性心を発揮すれば、その道の上を進んでいくことができます。

本能心や理性心だけでは、道の上を進んでいくことはできないのです。

私欲を去って、徳を積むことが求められます。

人間以外の動物は、本能心によって道から外れてしまうため、寿命を全うすることが難しいのです。

すべての宗教は、その道の上を進んでいく方法をそれぞれの言葉で説明しています。

 

心とは粒子の動きを指すので、本能心が暴走してしまえば、粒子は大きく道を外れてしまいます。

少しのズレなら後から修正できますが、外れすぎると、正しいルートに戻って来れないかもしれません。

心を無にすることで、時々粒子を正しいルートに戻してやらなければなりません。

時に自反して、省みることが必要なのです。

 

寿命とは、人間という一つの粒子が、宇宙の造化の道の上を進んで行き、ゴールに辿り着くまでの長さのことです。

その道から外れれば、破壊の作用が生じ、早めに死が訪れてしまいます。

私たちがゴールに辿り着くか、道から外れすぎると、人間の粒子は調和をもって動くのをやめ、私たちを構成するミクロの粒子は、バラバラに散っていきます。

でもその粒子は消えるわけではなく、また他の粒子たちと協調して、また何かに化していくのです。

 

宇宙を一つの粒子として考えてみましょう。

その粒子が道から外れたり、ゴールに辿り着けば、宇宙は形を失ってしまうかもしれません。

だから、私たちは正しい道の上を進んで、宇宙の創造の作用が、破壊の作用に負けないように、宇宙の造化と共に生きていかなくてはなりません。

ここでいう正しいとは、理性による相対的な善悪ではなく、創造と破壊を善悪に置き換えた、絶対的な正しさのことです。

私たちの使命は、その命が尽きるまで、宇宙の造化と共に正しい道を進むことにあるのです。

そのために必要なのは、才能や財産ではなく、私欲のない心だけなのです。

だから、人生に必要なものは、自分の中にしか見つけることはできません。

人生において大事なことは、正しい道の上を進んでいるかどうかだけなのです。