照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

48.あとがき

実は、私は君子と呼べるよう人間ではなく、性格に偏りがある、神経過敏で徳のない人間です。

人付き合いも苦手で、周りの人に多くの迷惑をかけてきました。

そして、本能心と理性心に振り回されながら、多くての苦労と挫折を味わってきました。

そのような私に、 過去の偉人たちとの出会いが、生き方を変えるきっかけを与えてくれました。

もし、安岡正篤中村天風に出会ってなかったら、悲惨なことになっていたと思います。
だから、恩返しではありませんが、先人たちから学んだことを、未来へ繋ぎたいと思っています。


三国志曹操は、「孫氏の兵法」の注釈を書き、朱熹は「論語」の注釈を書き、吉田松陰は「孟子」の注釈を書いて見解をまとめました。

時代が経つと、価値観や言葉遣いが変わるため、どうしても過去の書物は読みづらくなってしまいます。

その時代に合うように中身をアップデートすれば、過去の書物は息を吹き返し、新しい世で役立つことができます。

書物もスマートフォンのオペレーションシステムのように、アップデートが必要なのです。
良いものを残して、さらに進歩を続けていく。

革命のように、新しく一から作り直していては、いつまでも進歩がありません。
過去から学び、未来へ活かす。

人類の歴史も人の一生も、その点では同じです。


中村天風は、人類の未来は明るいと信じていたと思います。

これから人類は物質面だけでなく、精神面も豊かになっていき、いつしか誰もが真理の中で生きるようになると信じていました。

 

安岡正篤は現代に危機感を抱いていましたが、日本という国に誇りを持っていました。

日本が民族性を失わないかぎり、日本はいつまでも進歩向上していけると信じていたと思います。

 

植物を育てるときの考え方は、物事の考え方に通ずるところがあります。

まず、目先のことにとらわれず、長い目で見ましょう。

ときには、剪定をして枝の数を減らし、栄養をメインの枝や幹に回さなくてはなりません。

次に、一面にとらわれず、多面的に見て、全体を捉えるようにしましょう。

ある一面だけを見れば、健康に見えるかもしれませんが、裏側には害虫がついているかもしれまさん。

また、枝葉ではなく、まずは根本を見るようにしましょう。

綺麗な花を咲かせているからといって、その植物が健康とは限らないのです。

これら三つを思考の三原則といいます。

人類や地球の未来について考えるときも、このような広い視野で考えていかなければなりません。

すべての物事は、陰と陽のバランスが取れていないと、どこかで綻びが生じてしまいます。

現代社会は、陽である物質面が大きくなりすぎているので、今こそ陰である精神面を蓄えなければなりません。

 

人生における苦難の時期は、後から振り返ると、必ず自分の糧になります。

儒教経書の一つである「孟子」に、「天のまさに大任をこの人に降くださんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、その身を空乏にし、行いにはその為すところを仏乱せしむ。 心を動かし、性を忍び、そのよくせざるところを曽益するゆえんなり」という箇所があります。

訳すと、「天が人に重大な任務を与えようとするときには、必ずまずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、どん底の生活に突き落とし、何事もうまくいかない試練を与えます。 それは、天がその人の心を鍛え、忍耐力を増大させ、それを負わせるに足る人物に育てようとしているからです」となります。

中村天風も、安岡正篤も、頭山満も、厳しい試練を乗り越えて、天から与えられた重大な任務を果たしていきました。

そのような経験をした人でないと、大きな仕事をやってのけることはできないのです。

 

真理に従って、霊性心で生きれば、人生は必ず幸福なものになります。

なぜなら、宇宙は常に完全であり、積極的だからです。

徳の高い人たちは、死を迎えるときも穏やかでいられます。

中国南宋儒学者である陸象山は、臨終の数日前に死を静かに予言して、「不吉な言葉だ」と恨み言を言う家人に、「ただ自然だ」と厳かに答えたそうです。

道教の書物である「荘子」にも、「聖人は、身心を自然のあるがままに任せて安らかに生を終わる」とあります。

そうなるのは簡単なことではありませんが、日々鍛錬し、それを信念にして楽しめば、いつか現実になるはずです。

 

幕末から明治にかけて、日本は人材の宝庫と呼べるような状態で、優れた人物が多数いました。

だからこそ、明治維新を成し遂げ、日清戦争日露戦争に勝利することができたのです。

その戦争も侵略のためではなく、日本という国を守るため、やむを得ないものでした。

そのような尊敬できる人々が存在した国に生まれたことを、私は誇りに思います。

先人たちの追い求めた理想を、私たちが繋いでいかねばなりません。


この世に特別な人間はいない。

全員が特別な人間だ。

あなたはどちらだと思いますか。

生きることは当たり前のことだ。

生きることは奇跡だ。

すべては心一つの置きどころです。
誰もが、自分の中の雑念を消せば、真理の中で生きることができます。

答えは生まれたときから、すべて自分の中にあるのです。
自分が霊魂であり、宇宙霊の一部だとわかれば、どんな時も独りではありません。

人間は、常に宇宙霊と繋がっているのです。

 

万物は、初めからこの世に存在していたので、すべての発明は、発見と考えることができます。

だから、この世界に存在する、あらゆるものを所有する権利は誰にもありません。

すべては一つであり、分けることなどできないのです。

 

苦しみがあるから楽しみがあり、悲しみがあるから喜びがあります。
だから、喜びだけの人生など存在しないのです。

もし、それがあるとするならば、それは喜びのない人生と同じはずです。

だから、苦しみも悲しみも、私たちの人生に必要なものなのです。

 

最後は、中村天風の言葉で締めくくりたいと思います。

「人間はこの世に苦しみにきたわけではない。

進化と向上という使命を果たすためこの世にやってきたのだ。」