照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

26.便利さの代償

「真の科学は、継続的段階を経て秩序ある順に進むものである」

レオナルド・ダ・ヴィンチ 

 

自然は自ずから然ると書くように、何も取り繕ったりしない、ありのままのものです。

すべてが真実であり、偽りがありません。

当たり前のことですが、自然は嘘をついたりしないのです。

しかし、生物は進化していくうちに、相手を欺くようになりました。

そして人間は、文明が発達するにつれて、その自我を大きくしていき、自分にまで嘘をつくようになったのです。

宇宙の心である真善美から離れていき、道理から外れた生き方をするようになってしまったのです。

 

人間には本能心があり、そこから欲望が生まれます。

人間の欲望は底が知れないので、人間は本能心をコントールしなければなりません。

一つの欲望を満たしても、それでは飽き足らず、また新たな欲望をみつけるので、いつまでたっても満足することがないのです。

本能心をコントロールしないと、人間は自分の欲望を満たすために、嘘をつくことを何とも思わなくなってしまいます。


人間は比較することによって物事を考えます。

周りより自分の方が劣っていると感じれば不満に思うし、自分のほうが優れていると思えば満足します。

同じ生活をしていても、付き合う周りの人によって満足度は変わるのです。

だから、便利な生活をしていても、幸福とは限りません。

人間の幸福は、心一つの置きどころで変わります。


本能心で生きているかぎり、自分の生活をより便利で快適にするため、人は資源を取り合って争いを続けるでしょう。

猿が争って集団のボスを決めるように、人間も権力を求めて争います。

個人の争いは組織の争いに発展し、国の争いにまで発展して、戦争になるかもしれません。

そして誰かが頂点に立ったとしても、時が経てば不満を持った人々が反乱を起こします。

そのようにして、争いは永遠に繰り返されていくのです。

 

人は便利さに慣れてしまうと、以前の生活には容易に戻れなくなってしまいます。
昔は徒歩で移動することが当たり前でした。

しかし、現代は自動車で移動することが当たり前になり、歩くことを嫌うようになりました。

自転車が発明された時は、自転車に喜んで乗っていたのに、自動車が発明されると自転車で移動することですら、不満を漏らすようになるのです。
印刷技術が発明される前は、書物は値段が高くて購入できなかったので、他の人から借りてきて自分で書き写していたそうです。

しかし今では電子書籍があり、いつでもどこでも簡単に、手頃な値段で書物を購入できるようになりました。

他人から本を借りてきて、一冊丸ごとノートに書き写す人はもういないでしょう。

物の有り難みがなくなってしまっているのです。


文明が発達したことで、人は便利で快適な生活を手に入れましたが、その一方で失われたものもあります。

例えば、自動車や電車などの移動手段が発達したことによる運動不足が問題になっています。

運動不足になると、体力や心肺機能が低下してしまい、肥満や高血圧などの生活習慣病の原因となってしまいます。

また、食品の保存技術や輸送手段の発達により、その地で採れない物や、季節外れの物などを食べることができるようになりました。

その地で採れた季節の物を食べることが、人間の体にとっては一番良いので、保存技術などの発達によって人間の生命力は弱くなってしまっています。

見かけ上の寿命は延びているのは、医療技術が発展したことによるものなのです。

 

儒教において仁とは最高の徳目であり、人間にとって普遍的な愛や思いやりを意味するものです。

孔子は、君子は仁者であるべきと説きました。

また孟子は、井戸に落ちそうになっている赤ん坊を、無意識に助ける心が仁であると説きました。

あるとき孔子の弟子である顔回が、「仁とはどういうことですか」と質問したところ、孔子は「自分に克って、礼にかえることです」と答えました。

すると顔回は、「そのために具体的にどうすればいいですか」とさらに質問すると、孔子は「非礼を見てはいけない、聴いてはいけない、言ってはいけない、行ってはいけない」と答えました。

 

マスコミやインターネットが普及したことで、さまざまな弊害が生じています。

インターネットがあることで、普段は表には出さないような感情を、匿名であることをいいことに、人々は簡単に世の中に発信してしまうようになりました。

心に留めておくべき、欲望や怒り、虚栄心などがインターネット上ではあふれています。

仁を行うためには、非礼を言うことや行うことを避ける以外に、見ることや聴くことも避けなければなりません。

しかし、テレビのニュースを見たり、スマートフォンでインターネットを開けば、 人の非礼が嫌でも目や耳に入ってくるようになってしまいました。

それによって、人の「仁」は失われて続けているのです。

マスコミやインターネットの発達は、現代人が個人主義になることを助長し、殺伐とした社会を形成した要因の一つだといえます。

インターネットには、人の醜い本能心がかたちとなって残ってしまうので、それが人の心を汚してしまうのです。

 

マスコミやインターネットを発達させた資本主義社会においては、物が売れないことには経済が回りません。

そのため、企業は常に新製品を作り続け、一方で古くなった物はゴミになります。

言い方を変えれば、資本主義社会はゴミが出なければ、経済が回らない仕組みになっているのです。

捨てられた大量のゴミは、リサイクルされる物もありますが、大部分は燃やしたり小さく砕いたりした後に、ゴミ埋立地に捨てられます。

また、資本主義社会では、利益追求による苛烈な競争が行われるので、企業は道理に反したことを行うようになりました。

法を犯してまで、利益を求めるようになってしまったのです。

 

さまざまなことを述べましたが、私は文明を否定したいわけではありません。

ただ、これまで科学技術は、人間の本能を満足させることばかりに使われてきたので、これからは、人類と自然が共生していくために使われるべきだと思うのです。

便利なものがあると、人は怠惰になり堕落していきます。

だからこそ、これからは人類ではなく、地球全体のことを考えていかなければなりません。

本能心は楽をしたがるので、意識的に進む未来を選んでいかなくてはならないのです。


フィットネスジムに高い会費を払って、ロードマシンで走る人の姿を見ていると、不思議な気持ちになることがあります。

自動車に乗らず、ランニングで通勤すれば、ジムに通う必要はなくなるでしょう。

汗をかくこと、着替えがいること、朝から体力を失ってしまうこと、少し早めに起きなければならないことなど、ランニングをしない理由はいくらでも挙げられます。

しかし自動車がない時代には、徒歩か自転車で行くしかありませんでした。

資本主義社会では、何事においても効率が優先されるので、人は何をするときも、近道を探すようになってしまうのです。

 

宇宙の造化が永遠に続けられるのは、陰陽のバランスが取れているからです。

破壊も行われますが、創造が破壊を上回るので、万物は進化と向上を続けます。

人類も宇宙と同じように、陰陽のバランスを取っていくことが大切です。

そうすれば、人類も地球と共存共栄していくことができます。

ここいう陽とは科学技術を発展させる力であり、陰はそれを受容して調和していく力のことです。

現代社会は、科学技術を急激に発展させていますが、それを受容して調和できていないのです。

 

人類は文明の発達によって、便利で快適な生活を手に入れることができました。

しかしその代償に、かつては当たり前だった大切なものが失われてしまいました。

便利さを手放すことは容易ではありませんが、無理をしてでもそれを手放し、地球の未来を考えるときに来ているのかもしれません。

地球の未来を変えられるのは、人類だけなのです。