「一つの灯火を掲げて一隅を照らす。そうした誠心誠意の歩みを続けると、いつか必ず共鳴する人が現れてくる。一灯は二灯となり三灯となり、いつしか万灯となって、国をほのかに照らすようになる」
本能心からは、喜びや楽しみなどの積極的な感情や、怒りや不安などの消去的な感情、財欲や名誉欲などの欲求が生まれます。
そして、理性心からは正義や自己肯定などの積極的な感情や、後悔や苦悩などの消極的な感情が生まれます。
どちらの積極的な感情も、相対的なものなので、状況が変われば、消極的な感情に変わる可能性があります。
そして、霊性心からは、意志や勇気、思いやりが生まれ、どれもが絶対的な積極性を持っています。
状況が変わろうと、これは消極的になることはありません。
消極的になったと感じるならば、それは本能心や理性心があらわれてきたのです。
本能心は、自分と他人を分けて考えるので、利己的な感情や欲求が生まれますが、霊性心は自他の区別が曖昧なので、利他的といえます。
霊性心は霊魂由来のもので、霊魂は宇宙霊の一部でしたね。
宇宙霊に心があれば、誰に対しても平等なはずなので、誰か一人を特別扱いしないでしょう。
霊性心から生じる思いやりとは、他人のことを自分のことのように考え、力になってあげることをいいます。
徳があるということは、霊性心が強く発現しているということなのです。
また、霊性心から生じる勇気とは、周りの状況に関係なく、道理に合うことをすることで、いかなるときも積極的です。
血気にはやるだけのつまらない勇気を匹夫の勇といい、道理をわきまえていない向こう見ずな勇気を蛮勇といいます。
これらは、すぐに消極的に変わってしまったり、興奮することで一時的に勇しくなっているだけで、真の勇気ではありません。
江戸時代の終わり頃に、志という言葉がよく使われていましたが、夢と志はどう違うのでしょうか。
それは、利己的であるかどうかです。
志は、日本を異国から守るとか、地球環境を保全するとか、動機が利己的ではありません。
しかし、夢は、大金持ちになって贅沢したいとか、世界一の記録を残して名声を得たいとか、自分本位で利己的なものです。
夢が利己的なものでないならば、それは、自分のためでなく、世のために立てられた志なのです。
夢は本能心から生まれ、志は霊性心から生まれます。
霊性心で生きるとは、自他の区別なく、宇宙と一体になって、大きな視線から陰陽のバランスをとって、進歩向上していくことです。
霊性心から生じた意志や勇気は、怒りや欲求などよりも強い力を持っています。
もし、意志や勇気よりも、怒りや欲求の力が強ければ、創造より破壊の作用のほうが強くなるはずなので、宇宙はここまで進化していないはずです。
創造の力は破壊の力に勝るというのは、宇宙法則なのです。
強い意志を持っているならば、身体の痛みや心の苦しみに惑わされることはないはずなのです。
人生において最も大切なことは、真理の中で生きることです。
そのためには、日々鍛錬を続けるしかありません。
容易なことではありませんが、それは苦しみばかりの道ではなく、心一つで楽しむことができる喜びのあふれた道です。
人間は本能心だけで生きていると、楽をしようとして、堕落してしまいます。
そして、その先には苦しみが待ち構えています。
苦しみを楽しみに振り替えて、徳を少しずつ積んでいけば、いつか真理の中で生きられるようになります。
そうなれば、天と一体になり、天の造化をたすけることになるのです。
徳を積むと運気が上がるといいますが、それは、世のために良いことをすれば、霊性心が働いて、創造の作用が働くということです。
苛立ちながら生きていれば、破壊の作用が働いて、運気は下がっていきます。
現代に精神の病気が増えているのは、人間が真理から外れていることに、一番の原因があります。
人間は他の生物と同じで、宇宙から生まれた自然の生き物です。
人間には、人間に合った生き方があり、人間の理があります。
道と理の関係は、行動と知識の関係によく似ていて、道とは理の実践をあらわします。
宇宙法則に従って実際に行動していくことが道なのです。
だから、道と理は同じものの違う側面にすぎないのです。
道理とは、物事のそうあるべきことをあらわします。
この世のすべてのものに理があります。
言論の理は論理であり、心の理が心理であり、生体の理が生理です。
そして、この宇宙の理を真理と呼びます。
理に従わず、道から外れると、その先には破滅が待っています。
物質的に豊かな現代社会なのに、心を病んでしまう人が多いのは、人類が道から外れていることにその原因があります。
物質的に豊かでなくても、道理に従って生きれば、幸福になれるはずなのです。
心を積極的に保てば、宇宙霊から力を余分に受け取れます。
積極的な精神が、宇宙の創造の力と同調するからです。
不満を感じながら何かを行うよりも、楽しんで行うほうが、結果が良くなるのはこのためです。
怪我をしても、放っておけば自然と回復しますが、消極的な精神状態だと回復は遅れます。
破壊は通常、物事が行き詰まったとき、再生するためにやむを得ず起こるのです。
しかし道理に反すると、破壊の作用はすぐ生じます。
それは、病気やトラブルとなって、私たちの人生にあらわれてくるのです。
すべての人間が徳を育てる教育を受けて、真理のに従って生きていけば、人類の未来は明るいはずです。
積極的な精神を保てば、宇宙法則によって進化と向上が起こるのです。
そして、自分という垣根を越えて、他者を思いやることができれば、戦争のような悲惨な出来事は決して起こらないはずです。
地球を一つの生命体と考えれば、人間も他の生物も無生物も区別はいりません。
想いは、必ず誰かに伝わります。
そして、その想いに受け取った人が、また誰かに想いを伝えていきます。
テストで満点を取るためには、勉強して一点ずつ点数を上げていくしかありません。
同じように、想いを少しずつ広げていけば、いつかは無理だと思うような未来に辿り着くことができるはずです。
人間が戦うべきなのは、他人ではなく、自分の中の私欲や惰性なのです。
世界中の人類が当然のように真理を学ぶようになれば、世界は目に見えて変わると思います。
地球を一つの生命体と考えたとき、人類が地球を救う脳となることを願いましょう。
そして人類が、地球にとってのがん細胞にならないことを願います。
善いことをする人間ではなく、善い人間になりましょう。
悪人でも、その場しのぎで善いことができます。
少々間違ったことをしても、本質が善であれば、それは表にあらわれて、いずれ周りに伝わっていきます。
しかし、無理して善いことをしても、本質が悪ならば、いずれその正体は明るみに出るのです。
どれだけ善いことをしても、本質が変わらないかぎり、善い人間になることはできません。
だから、周りの目を気にせずに、自分が善いと思うことをしましょう。
自分の目も気にする必要はありません。
なぜなら、本能心や理性心というフィルターを通すことでしか、自分を見ることはできず、そこには、自分はこうあるべきだという決めつけが含まれているからです。
難しいことを考えず、心の底から善いと思えることをしていれば、それで良いのです。
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中村天風「成功の実現」