照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

27. 立命と運命

「人間が浅はかで無力であると、いわゆる宿命になる。人間が本当に磨かれてくると運命になる。すなわち、自分で自分の命を創造することができるようになる」

安岡正篤

 

命は、疑問を挟む余地がないほど絶対的なものです。

だから、「なぜ人は生きているのか」と考えることは無意味になります。

命とは絶対的なものなので、あらかじめ、すべてが決まっていると考えることができます。

これを宿命といいます。

例えば、病や困難は宿命であり、それらは命に生まれる前から、可能性として宿っているのです。

 

「自分はなぜ生きているのか」と考えることは無意味なことですが、「自分はどうあるべきか」と考えることには意味があります。

これを義命といいます。

そして、自分の命の使い道を探して、主体的に生きていると、あるとき自分に与えられた使命を知ることができます。

これを知命といいます。

 

すべての人に、それぞれ必ず何かの役割があります。

それは人に限ったことでなく、万物が何かの役割を持っています。

天に棄物なしといって、この世に不要な物はなく、万物が役割を持っているのです。

それぞれがそれぞれの役割を果たすことで、この宇宙は成立しています。

 

自分の使命を知ったら、今度はそれを実行に移していかなくてはなりません。

実際に行動することによって、自分の役割を果たしていくことを立命といいます。

 

人間が立命して、主体的に宇宙の働きに加わっていくと、その命は宿命に縛られず、自主的に動き出します。

人間の運命の中には、機械的他律的な宿命と、自主的・自律的な立命があるのです。

運という文字には、動くという意味と、巡るという意味があります。

動物は、本能心だけで生きているので、宿命的になります。

 

人は悟りを得ると、多少のことでは動じなくなるといわれます。

しかしそれは、悟っているつもりになっているだけかもしれません。

悟ったつもりになることを石に、本当に悟ることを宇宙になることにたとえてみましょう。

心が石のようになったら、多少のことでは動じませんが、その命は自主性を失い、宿命に陥ってしまいます。

その命は自ら動き出すことがなく、決まったレールを進むだけになるのです。

心が宇宙の一部となって、真理と共に生きるようになれば、多少のことでは動じなくなり、その命は、宇宙の進化と向上に加わっていきます。

真の悟りとは、心が固定されることではないのです。

 

立命は、自分一人の力では実現できません。

誰かの想いを受け継いだり、誰かの助力を受けたり、さまざまな縁によって命は立つのです。

それは生きている人物からの影響だけでなく、書物を通じた偉人との出会によるものかもしれません。

 

立命をしても、人がいずれ死ぬことや、その命に与えられた役割などは、決して変わることはありません。

そのような絶対的なものを天命といいます。

 

自分の良心に従って何かを実行するとき、その結果は問題ではありません。

それに対して最善を尽くすことが重要なのです。

偽りのない誠実な気持ちで物事に臨めば、その想いは必ず他の誰かに伝わっていきます。

先人たちは人類の未来を良いものにしようと、理想を追い続けました。

私たちは先人たちの想いを、未来へ繋いでいきましょう。

 

成功か失敗かは問題ではありません。

重要なのは、誠の心であるかどうかです。

そうであるならば、周りは気にせずに、自分がすべきことをすればいいのです。

事の大小も問題ではありません。

百人で達成できたことは、その内の一人でも欠けていれば、達成できなかったかもしれません。

目立つ功績を上げた一人も、陰で支えていた一人も、どちらも欠けてはならない一人なのです。

 

一度切りの人生、自分に与えられた使命を知り、それに情熱を注ぎましょう。

ただ漠然と生きているだけでは、人生は宿命に支配されてしまいます。

そうなると、人は自分の使命に気づくことなく、一生を終えることになります。

立命をすることで、自分の命を世に役立てれば、その生命が尽きても、想いは誰かの中で生き続けます。

体が死んでも、魂は存在し続けるのです。

このようにして、人類の過去と未来は繋がっていきます。

 

人類は進化と向上という使命を持って、この世に生まれてきました。

人類の使命を果たすため、立命をして、自分の役割を果たしていきましょう。

 

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