照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

25.木の五衰

「人生のことは、これを要約すればこの『省』の字に尽きるといってもよい」

安岡正篤

 

植物が衰えていく様子を観察し、それを人間に当てはめて考えれば、人間がどのように衰えていくのかがわかります。

植物が衰えていく要因は、懐の蒸れ、裾上がり、末枯れ、末止まり、虫食いの五つに分けることができ、これを木の五衰と呼びます。

 

懐の群れ(ふところのむれ)とは、枝葉が茂りするぎることです。

そうなると風通しが悪くなって、内部に蒸れが生じ、湿度に弱い植物は病気になってしまうことがあります。
また枝葉が茂りすぎると、内側の葉に日光が当たらなくなったり、葉が増えすぎて養分が不足したりすることもあります。

時期をみて剪定し、枝の数を減らさなくてはいけません。

 

懐の蒸れは人間でいうと、知識や欲求などの自我で頭の中が無秩序になっている状態です。

木の枝を剪定するように、不要な自我は省いていかなければなりません。

現代は情報があふれているので、それをすべて頭に入れていたら、頭の中が混雑してしまいます。

また、頭の中が欲求であふれると、それが満たされないと苛立つようになります。

精神と現実の世界は繋がっているので、物を持ちすぎて、部屋が散らかっているのもいけません。

現実も精神もどちらの世界も断捨離して、必要なものだけを残しましょう。

すると、大切なものがはっきりして、身軽になります。

不要なものを抱えていると、それにエネルギーが取られてしまうので、不要なものは省いていきましょう。

 

裾上がり(すそあがり)とは、根が浅くなって、地上にむき出しになっている状態です。

空気や水や養分が、充分に植物に与えられていないと、根はそれらを求めて地上に上がってきてしまいます。

木は土の中にしっかりと根を張っていないといけません。

根が地上にはみ出したなら、環境を見直さなければなりません。


裾上がり(すそあがり)は人間でいうと、精神が落ち着いておらず、地に足が着いていない状態です。

人間も、植物が深く根を張るように、しっかりと精神の世界を潜らなければなりません。

若いうちに社会に出て派手に活動すると、人間がしっかりとできずに軽薄な人間になってしまいます。

だから、若いうちは無理に社会に出ようとせずに、読書などをしっかりして、人間をつくることのほうが大切なのです。

地に足がついていないと、頭の中が雑念や妄想であふれ、すぐに欲求不満になってしまいます。

欲求を自分で制御できずに、短絡的な行動をして、羽目を外してしまいます。

利己的にしかものを考えられない、不安定な人間になってしまいます。

過ぎた欲は身を滅ぼすので、謙虚な気持ちを忘れてはいけません。

 

末枯れ(うらがれ)は、植物の頂上のほうから葉が枯れることをいいます。

下のほうから少しずつ葉が枯れていくのは、人間が世代交代するのと同じで、自然現象なので問題ありませんが、頂上のほうから枯れていく場合、何か問題を抱えていると考えられます。

 

末枯れは人間でいうと、理想や情熱を失ってしまった状態です。

人間は理想を持って生きなくてはいけません。

情熱を失って、ただ漠然と生きることは、万物の霊長である自分への冒涜になります。

理想とは、しっかりと組織された考え方が継続することなので、曖昧なものや、長続きしないものは理想とはいえません。

頭の中で鮮明に思い描くことができ、それを長い時間継続したときに、はじめて理想となります。

継続は力なりです。

理想は霊性心から生まれるので、宇宙の創造の力が働いて、思い描くことが現実化していきます。

理想や情熱をなくしてしまえば、人は枯れてしまいます。

 

末止まり(うらどまり)は、植物が成長を止めてしまった状態をいいます。

人間でいうと、信念を失って成長をやめてしまった状態です。

人と他の動物との大きな違いに、感動するという点があります。

涙を流したり、喜んだり、笑ったり、心が感動することをやめてしまうと、人の心は固まってしまい、成長しなくなってしまいます。

昔の大きな志を持った人たちは、よく男泣きをしたそうです。

自分は「この世に進化と向上という使命を持って生まれてきたんだ」という強い信念があれば、心が固まっていくことはありません。

 

信念とは、無理に信じるものではなく、信じていて当たり前になっているものをいいます。

例えば、鉄棒で逆上がりができる人は、「おれは逆上がりができる」と自分に言い聞かせたりしません。

その人にとって、逆上がりできることは当たり前で、信念ができあがっているのです。

逆上がりできない人が、「おれは逆上がりができる」とどんなに強く想っても、それは信念ではないのです。

信じる必要がなくなったとき、それが信念になります。

少年漫画の主人公が、自分の夢を何度も口に出すのは、それを信じようとしているのではなく、それが当たり前のことになっているからです。

気づけば何度も念じているようなものが信念なのです。

 

虫食いは、植物にいろいろな害虫がついている状態です。

害虫がついたまま放っておくと、病気になってしまい、生命を失ってしまう可能性もあります。

害虫を見つけたら、すぐに駆除しないといけません。

 

虫食いを人間でいうと、悪い習慣がついてしまった状態をいいます。

人は理想をなくし堕落していくと、悪い習慣を持つようになります。

理想や情熱がなく、ただ漠然と生きているだけだと、どうしてもストレスが溜まっていきます。

すると、ストレスを発散するために感覚的な刺激を求めるようになります。
ギャンブルにはまったり、暴飲暴食したり、酒に溺れたり、色欲に溺れたりします。

そして、いつしかその刺激にも慣れてしまい、さらに強い刺激を求めるようになります。

欲望に限界はありません。
そして、日常的に強い刺激にさらされていると、感覚は徐々に麻痺していきます。
すると、欲求は過激さを増していき、グロテスクなものを欲するようになります。

異常行動をしたり、犯罪行為に手を染める者もあらわれます。
刺激を得ることが日常からすると、刺激がなければ禁断症状があらわれるようになります。

いわゆる中毒や依存になってしまうのです。

そうなると、人生を棒に振ってしまいかねません。

 

「習慣は第二の天性」といわれます。

また、「生活は習慣の織物」ともいわれます。

毎日の習慣による日々の積み重ねが、人生をつくっていきます。
悪い習慣があるならば、すぐに断つべきです。

習慣になると何度も繰り返されるので、それが悪い習慣なら、人生へ及ぼす悪影響はとてつもなく大きなものになります。

しかし、悪い習慣を断ち切るのは容易なことではありません。

悪癖を断つ秘訣は、少し価値の高い欲望で上書きしてしまうことです。

霊性心を発揮して、悪癖を頭の中から消してしまえればいいのですが、それは難しいので、本能心を別の本能心で上書きしていきましょう。

欲望は、良いものも悪いものもすべて本能心から生まれます。

総理大臣になろうと思うことも、詐欺師になろうと思うことも、どちらも同じ本能心から生まれるのです。
だから、ギャンブルにはまる人はゲームで我慢したり、お酒をやめられない人はノンアルコールに少しずつ置き換えたり、食べ過ぎる人はお米をキャベツに変えたりして、工夫して少し価値の高い欲望に置き換えてしまいましょう。

それで本能心をどうにか満足させて、騙し騙しやっていくのです。

 

枝葉が増え過ぎれば、剪定して風通しを良くするように、自分から不要なものは省いていかなくてはなりません。

現代を生きていると、絶え間なく情報が入ってきます。

無駄な知識は役に立たないだけでなく、雑念を生むもとになるので、害を及ぼすことになりかねません。

 

孟子は「自反」という言葉をよく説きました。

自反とは、自らに反(かえ)ることをいいます。

人間は外のことばかりに目がいきますが、まずは自分の内面としっかり向かい合わなくてはいけません。

自ら反(かえ)らざれば、それは自ら反(そむ)くことになります。

問題が起こったときは、その原因を外に求めるのではなく、自分の内部に探さなければいけません。

自反することによってのみ、真の勇気である大勇(だいゆう)を養うことができます。

 

自反をして、不要なもの省き、自分の根本を養っていきましょう。

 

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