「人生のことは、これを要約すればこの『省』の字に尽きるといってもよい」
植物が衰えていく様子を観察し、それを人間に当てはめて考えれば、人間がどのように衰えていくのかがわかります。
植物が衰えていく要因は、懐の蒸れ、裾上がり、末枯れ、末止まり、虫食いの五つに分けることができ、これを木の五衰と呼びます。
懐の群れ(ふところのむれ)とは、枝葉が茂りするぎることです。
そうなると風通しが悪くなって、内部に蒸れが生じ、湿度に弱い植物は病気になってしまうことがあります。
また枝葉が茂りすぎると、内側の葉に日光が当たらなくなったり、葉が増えすぎて養分が不足したりすることもあります。
時期をみて剪定し、枝の数を減らさなくてはいけません。
懐の蒸れは人間でいうと、知識や欲求などの自我で頭の中が無秩序になっている状態です。
木の枝を剪定するように、不要な自我は省いていかなければなりません。
現代は情報があふれているので、それをすべて頭に入れていたら、頭の中が混雑してしまいます。
また、頭の中が欲求であふれると、それが満たされないと苛立つようになります。
精神と現実の世界は繋がっているので、物を持ちすぎて、部屋が散らかっているのもいけません。
現実も精神もどちらの世界も断捨離して、必要なものだけを残しましょう。
すると、大切なものがはっきりして、身軽になります。
不要なものを抱えていると、それにエネルギーが取られてしまうので、不要なものは省いていきましょう。
裾上がり(すそあがり)とは、根が浅くなって、地上にむき出しになっている状態です。
空気や水や養分が、充分に植物に与えられていないと、根はそれらを求めて地上に上がってきてしまいます。
木は土の中にしっかりと根を張っていないといけません。
根が地上にはみ出したなら、環境を見直さなければなりません。
裾上がり(すそあがり)は人間でいうと、精神が落ち着いておらず、地に足が着いていない状態です。
人間も、植物が深く根を張るように、しっかりと精神の世界を潜らなければなりません。
若いうちに社会に出て派手に活動すると、人間がしっかりとできずに軽薄な人間になってしまいます。
だから、若いうちは無理に社会に出ようとせずに、読書などをしっかりして、人間をつくることのほうが大切なのです。
地に足がついていないと、頭の中が雑念や妄想であふれ、すぐに欲求不満になってしまいます。
欲求を自分で制御できずに、短絡的な行動をして、羽目を外してしまいます。
利己的にしかものを考えられない、不安定な人間になってしまいます。
過ぎた欲は身を滅ぼすので、謙虚な気持ちを忘れてはいけません。
末枯れ(うらがれ)は、植物の頂上のほうから葉が枯れることをいいます。
下のほうから少しずつ葉が枯れていくのは、人間が世代交代するのと同じで、自然現象なので問題ありませんが、頂上のほうから枯れていく場合、何か問題を抱えていると考えられます。
末枯れは人間でいうと、理想や情熱を失ってしまった状態です。
人間は理想を持って生きなくてはいけません。
情熱を失って、ただ漠然と生きることは、万物の霊長である自分への冒涜になります。
理想とは、しっかりと組織された考え方が継続することなので、曖昧なものや、長続きしないものは理想とはいえません。
頭の中で鮮明に思い描くことができ、それを長い時間継続したときに、はじめて理想となります。
継続は力なりです。
理想は霊性心から生まれるので、宇宙の創造の力が働いて、思い描くことが現実化していきます。
理想や情熱をなくしてしまえば、人は枯れてしまいます。
末止まり(うらどまり)は、植物が成長を止めてしまった状態をいいます。
人間でいうと、信念を失って成長をやめてしまった状態です。
人と他の動物との大きな違いに、感動するという点があります。
涙を流したり、喜んだり、笑ったり、心が感動することをやめてしまうと、人の心は固まってしまい、成長しなくなってしまいます。
昔の大きな志を持った人たちは、よく男泣きをしたそうです。
自分は「この世に進化と向上という使命を持って生まれてきたんだ」という強い信念があれば、心が固まっていくことはありません。
信念とは、無理に信じるものではなく、信じていて当たり前になっているものをいいます。
例えば、鉄棒で逆上がりができる人は、「おれは逆上がりができる」と自分に言い聞かせたりしません。
その人にとって、逆上がりできることは当たり前で、信念ができあがっているのです。
逆上がりできない人が、「おれは逆上がりができる」とどんなに強く想っても、それは信念ではないのです。
信じる必要がなくなったとき、それが信念になります。
少年漫画の主人公が、自分の夢を何度も口に出すのは、それを信じようとしているのではなく、それが当たり前のことになっているからです。
気づけば何度も念じているようなものが信念なのです。
虫食いは、植物にいろいろな害虫がついている状態です。
害虫がついたまま放っておくと、病気になってしまい、生命を失ってしまう可能性もあります。
害虫を見つけたら、すぐに駆除しないといけません。
虫食いを人間でいうと、悪い習慣がついてしまった状態をいいます。
人は理想をなくし堕落していくと、悪い習慣を持つようになります。
理想や情熱がなく、ただ漠然と生きているだけだと、どうしてもストレスが溜まっていきます。
すると、ストレスを発散するために感覚的な刺激を求めるようになります。
ギャンブルにはまったり、暴飲暴食したり、酒に溺れたり、色欲に溺れたりします。
そして、いつしかその刺激にも慣れてしまい、さらに強い刺激を求めるようになります。
欲望に限界はありません。
そして、日常的に強い刺激にさらされていると、感覚は徐々に麻痺していきます。
すると、欲求は過激さを増していき、グロテスクなものを欲するようになります。
異常行動をしたり、犯罪行為に手を染める者もあらわれます。
刺激を得ることが日常からすると、刺激がなければ禁断症状があらわれるようになります。
いわゆる中毒や依存になってしまうのです。
そうなると、人生を棒に振ってしまいかねません。
「習慣は第二の天性」といわれます。
また、「生活は習慣の織物」ともいわれます。
毎日の習慣による日々の積み重ねが、人生をつくっていきます。
悪い習慣があるならば、すぐに断つべきです。
習慣になると何度も繰り返されるので、それが悪い習慣なら、人生へ及ぼす悪影響はとてつもなく大きなものになります。
しかし、悪い習慣を断ち切るのは容易なことではありません。
悪癖を断つ秘訣は、少し価値の高い欲望で上書きしてしまうことです。
霊性心を発揮して、悪癖を頭の中から消してしまえればいいのですが、それは難しいので、本能心を別の本能心で上書きしていきましょう。
欲望は、良いものも悪いものもすべて本能心から生まれます。
総理大臣になろうと思うことも、詐欺師になろうと思うことも、どちらも同じ本能心から生まれるのです。
だから、ギャンブルにはまる人はゲームで我慢したり、お酒をやめられない人はノンアルコールに少しずつ置き換えたり、食べ過ぎる人はお米をキャベツに変えたりして、工夫して少し価値の高い欲望に置き換えてしまいましょう。
それで本能心をどうにか満足させて、騙し騙しやっていくのです。
枝葉が増え過ぎれば、剪定して風通しを良くするように、自分から不要なものは省いていかなくてはなりません。
現代を生きていると、絶え間なく情報が入ってきます。
無駄な知識は役に立たないだけでなく、雑念を生むもとになるので、害を及ぼすことになりかねません。
孟子は「自反」という言葉をよく説きました。
自反とは、自らに反(かえ)ることをいいます。
人間は外のことばかりに目がいきますが、まずは自分の内面としっかり向かい合わなくてはいけません。
自ら反(かえ)らざれば、それは自ら反(そむ)くことになります。
問題が起こったときは、その原因を外に求めるのではなく、自分の内部に探さなければいけません。
自反することによってのみ、真の勇気である大勇(だいゆう)を養うことができます。
自反をして、不要なもの省き、自分の根本を養っていきましょう。
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