照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

41.自己陶冶(じことうや)

「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」
宮本武蔵

 

日本刀を作るには、強靭な鋼が必要です。

鋼を加熱し、槌で打つことによって、鋼を鍛える作業を鍛錬といいます。

槌で鋼を打つと、不純物が火花となって飛んでいくので、鋼の純度を上げることができます。

鋼を叩いて薄く延ばしたあと、それを折り返し、またそれを打ち延ばしたあと、折り返しと何度も繰り返すことによって、純度の高い強靭な鋼が作られます。


私たちも鋼を鍛錬するように、自分の心から不要な本能心を取り除いて、強い心をつくっていかなくてはなりません。

内省検討をして、心の中に不純物を見つけたら、安上打坐法を行って、それを火花のように飛ばしてしまいましょう。

何度も鋼を折り返すように、寝る前に、鏡に向かって命令口調で自分に暗示をかけて、心を鍛えていきましょう。

そして、霊性心の純度の高い強靭な心をつくっていくのです。

弱肉強食の世界では必要だったけど、現代では不要になった不要残留本能心を、心の鍛錬を繰り返し行うことによって、整理していきましょう。


悪い習慣をなかなか断ち切れない時は、まずは少し価値の高いものに置き替えて、段階を経てやめていくようにしましょう。

例えば、煙草を辞めたいなら、まずは煙草をガムに置き替えていき、少しずつ煙草の量を減らしていきます。

運動不足だけど、外で走ることが億劫なら、まずは散歩から始めましょう。

 

習慣は第二の天性というように、良いことを習慣にするようにしましょう。

幕末の国学者である飯田忠彦は、昼は宮家に出仕し、夜は義父の晩酌の相手をして、その後に毎晩「大日本史」の続編を執筆し、「大日本野史」を完成させました。

アメリカの詩人ロングフェローは、毎朝朝食前の十五分を利用して、イタリア文学であるダンテの「神曲」の大翻訳を完成させています。

人生は習慣の織物というように、良い習慣を毎日続ければ、一日の時間は短くても、トータルすれば莫大な時間になります。

通勤や昼食時などに、講演の音源を聴いたり、読書をするのもいいでしょう。

目覚ましのアラームをブザー音にして、毎朝目を覚ますと同時に、安上打坐法を行うこともお勧めです。

良いことを強引にでも習慣化できれば、人生で考えると、とてつもなく大きな違いが生じるのです。

 

心が消極的になってしまい、そこから抜け出せないときは、心の向く方向を変えてあげましょう。

例えば、自分の好きなことに心を集中して気を打ち込むことができれば、自然と精神は統一されるので、雑念はなくなります。

無心になって霊性心が発揮されれば、本能心と理性心は消えてしまうのです。

消極的なときこそ、何か熱中できるものに意識を集中させましょう。

 

何をするときも、好きなことをしているつもりで、なるべく夢中になって取り組むようにしましょう。

どのようなことでも、気の持ちようで、楽しみや喜びを見つけることができます。

だから、どのような仕事でも、心一つの置きどころで、天職になり得るのです。

嫌々働いても、心は消極的になっていくばかりで、良いことは一つもありません。

 

幼い頃に健康上の問題があったり、家庭環境が悪かったりすると、その時に感じた消極的な感情が潜在意識に強く刻み込まれることで、不要な自我が形成され、生涯にわたってそれに悩まされることになります。

だから、親は子どもに強いストレスを与えないよう気をつけないといけません。

幼い頃の環境は自分で決めることができないので、潜在意識の中の不要な自我は仕方がないものですが、大人になったら自己陶冶を行って、それを少しずつ消していかなくてはなりません。

それは、幸福に生きるために必要なことなのです。

 

人間には徳と才という二つの要素があります。

徳とは優しさや勇気などの人格をさし、才は能力や技術などの才能をさします。

そして、才よりも徳が多い人物を君子といい、徳よりも才が多い人物を小人といいます。

小人は自分の欲望をコントロールできないので、放っておくと悪いことをしてしまいます。

トラブルを起こすのは、才のない人間でなく、徳のない人間なのです。

だからまずは徳を積んで、君子になることを目指しましょう。

徳を積むことは、中道を生きることや、霊性心を発揮することと同じことです。

心の中にある不純なものを消して、人は心を整理していかなければならないのです。

 

学んで宇宙真理を体得することも、儒教でいう徳を積んで君子になることも、仏教でいう自我を消して悟りを開くことも、神道のかんながらの道を清く明るく生きることも、すべて自己陶冶を行って霊性心で生きることなのです。

かんながらというのは、あるがまま、神の意志のままという意味です。

心の中にある消極的なものを消して、霊性心で生きることができれば、誰もが苦しみから解放されて、安心して生きることができます。

皆がそうなれば、政治は正しく行われるようになり、世界は平和へと向かい、人類は造化と共に生きることができるでしょう。

鋼を何度も槌で打って、不純物を飛ばしていくように、毎日毎日少しずつ心の中の消極的なものを減らしていくようにしましょう。

そして、心と体どちらかに偏るわけではなく、陰陽のバランスがとって、心身を統一した状態で生きていけるようになりましょう。