「魂は微妙にして、微小なる粒子から成り立ち、粒子は水の流性、雲、煙よりもはるかに徴細なり」
人間の本質である霊魂は、宇宙霊の一部であり、人の生命を活動させる元となるエネルギーです。
エネルギーである霊魂が、心の主人であるという表現には違和感を感じるかもしれません。
確かにエネルギーである霊魂には、人格はありません。
人間の心と体は、神経によって繋がっています。
体中に張り巡らされた神経を通じて、心で思ったことが脳から発せられる指令となって、体中に伝えられます。
また、体が感覚としてとらえたものが、神経を通じて脳に伝わることで、心はその感覚を感じとることができるのです。
神経が心と体を繋げているのなら、何が心と霊魂を繋げているのでしょうか。
万物を生成する根源の気のことを精気と呼び、 人間を活動させる元となります。
また、万物に宿る精気のことを霊と呼び、精気の集まりのことを宇宙霊と呼びます。
そして心とは、精気の動きを意味します。
心と体が神経で繋がっているように、人間の活動の元となる精気と心を繋ぐものを、魂と考えてみてください。
魂によって人間の精気が動かされることで、心は存在するのです。
心を生じさせる元となる精気と、それを動かす魂を合わせて霊魂と呼びます。
魂とは、心と精気の間に位置するものであり、精気の動き方を決めて、心の在り方を定めます。
馬車で例えると、車体を引っ張る馬が体になり、その馬を操る御者が心、馬車に乗る客が精気となります。
そして、御者の操る手綱が神経にあたり、目的地を伝える客の声が霊にあたります。
客が御者に目的地を伝え、御者は手縄を使って馬に命令を出し、目的地へ馬車を走らせます。
目的地がなければ、馬車はどこにも行けないのです。
人間の魂は、他の動物に比べ、より宇宙真理に従って気を動かします。
だから、人間の心は他の動物よりも発達しているので、霊性心を発揮することができるのです。
人間以外の動物は、宇宙真理の中でもシンプルな生存本能の心だけを発揮することができます。
また、人間の理性心は、霊性心を発揮するために、本能心を抑える働きを持っています。
人間は複雑なルートを辿れますが、他の動物は大まかな方向に進むことしかできないのです。
また、植物は動物よりも原始的な生物なので、純粋に生きるための植物心しか持ち合わせていません。
困難に直面すると、「逃げ出したい」という本能と、「進まなければ」という理性が葛藤を始めます。
すると本能と理性の狭間で、心と体をつなぐ神経が不安定になり、さまざまな不調が生じます。
そのようなときは、霊性心を発揮して、心と体を導いてやらなければなりません。
魂が宇宙霊から精気を取り込み、心と体を正しい方向へ導いてくれます。
足場が悪くなると、馬は進むのを嫌がりますが、御者は何とか馬を走らせようとします。
体は本能によって苦しみから逃れようとし、心は理性によって立ち向かおうとするのです。
馬が言うことを聞かず、御者が冷静さを失ってしまえば、馬車は進むことができません。
そうなれば、客がその場で最も適切な判断をして、それを御者に伝えて実行させるしかありません。
客の声によって御者を導くのです。
本能や理性は、時と場合によって態度が変わります。
本能は損得勘定で態度が変わり、理性はそのときの価値観によって態度が変わります。
しかし、霊魂だけは常に同じ態度を取ります。
なぜなら霊魂には善悪の概念がなく、常に宇宙法則に従うからです。
霊魂は宇宙法則から外れることがないので、間違えることがありません。
宇宙は常に完全を目指し、進化と向上を続けます。
霊魂は、宇宙霊の一部であり、本能や理性が進む方向を間違えれば、それを正してくれます。
私たちの求める不変の存在は、常に私たちの中にあるのです。
困難に直面したときには、宇宙の声に耳を澄ませてみましょう。
人間以外の動物は理性を持っていないので、種を守ること以外に、険しい道を選ぶことはありません。
しかし、人間は理性を持っているので、自ら険しい道を進むことができます。
でも、そのとき本能と理性による葛藤が生じるので、苦しみが生まれてしまいます。
だけど、人間には霊魂があるので、霊性心が進むべき道を示してくれます。
人は困難を乗り越えていく力を持っているのです。