照心洗心録

安岡正篤、中村天風などから学んだことをまとめています。

8.心と体と霊魂

「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」

一休宗純

 

万物の源となった宇宙の莫大なエネルギーを宇宙霊といいます。

霊とは、万物の源となるエネルギーのことです。

宇宙霊から受け取った人間の心と体の元となるものを霊魂といいます。

魂とは、生物の中に宿り、心の働きをつかさどるものです。

インド哲学では、宇宙霊をブラフマン、霊魂をアートマンと呼びます。

霊や魂というとオカルトのようで、拒絶反応が出る人がいるかもしれませんが、宇宙の源を宇宙霊と呼び、人間の元となるエネルギーを霊魂と呼ぶだけです。

 

何かを思いつくことをアイディアが浮かぶといいますが、アイディアはギリシャ語のイデアという言葉から生まれました。

そして、イデアは見るという動詞イデインに由来しています。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、イデアという言葉で、肉眼で見える物ではなく、心の目で見えるもの、言い換えれば、精神の世界で感じることができる物事の原型をあらわしました。

つまり、私たちが何か考えるとき、それと同時に目には見えないエネルギーが動いていて、心が動くとき、同時に気が動いているのです。

 
人間の本質は宇宙からもらったエネルギーであり、宇宙霊の一部である霊魂になります。
肉眼で見える体は、霊魂がこの世界で活動するための乗り物にすぎません。
動物によって目に見える世界が違うことがわかっており、人間の視覚が真実をとらえているとは限りません。
私たちが普段目にしている自分の体も、視覚でそのように認識されているだけで、本当は細かい粒子の集まりなのです。
視力が落ちるだけで、物の見え方は変わるし、見間違いをすることは誰にだってあります。
私たちが認識している体は、仮の姿であって、真実の姿ではないのかもしれません。
 
霊魂がこの世界で活動するためには、乗り物である体を動かすためのコントローラーが必要になります。
それが心であり、心も霊魂の道具にすぎません。
心は気の動きをあらわすものであって、心が体の主人というわけではないのです。
馬車に例えるなら、車体を引く馬が体で、それを操る御者が心で、車体に乗った客が霊魂になります。
馬車は客を目的地へ運ぶことが仕事であって、馬や御者のためでなく、客のために走ります。
同じように、私たちの心や体は、霊魂を目的地へ運ぶための道具にすぎないのです。
 
科学を重要視する教育を受けてきた現代人は、科学で証明できないものを認めない傾向があります。
人間の本質が霊魂だといわれても、それが電子顕微鏡などで観察できないかぎり、そんなものはないと決めつけてしまうのです。
しかし、最近になって発見された素粒子があるように、科学で解明されていないことは数多くあります。
つい数百年前まで、地球の周りを天が回っていると本気で考えられていたのです。
非科学的だと思われていた五行説は、現代の漢方医学でも用いられ続けています。
だから、受け入れがたいかもしれませんが、いったん批判的な気持ちは捨てて、まっさらな気持ちで読んでいただけると幸いです。
重要なのは、科学で証明できるかではなく、真理と一致するかどうかなのです。
 
おすすめ書籍
中村天風「心を磨く」